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生存率を左右するのは「最初の夜」 縁日の金魚を死なせないコツを専門家が伝授

生存率を左右するのは「最初の夜」 縁日の金魚を死なせないコツを専門家が伝授

https://news.yahoo.co.jp/articles/ce79826483f8a220ad1f4e558c06b80fd581cfd8

 

昨日のお祭り記事に続いてということで

 

縁日の金魚すくいってなんか魅力的なんですよね笑

僕もさかなクンが将来の夢だったのもあって、昔はやりたくてやりたくて、、笑

 

でも、お袋に飼えないからってやらせて貰えなかったなぁ

 

唯一祖父母の家に行ったときに祖父母がやらせてくれて、金魚を祖父母が飼ってくれていました。

昔からポメラニアンを祖父母が飼っていたので犬が飼えることは分かっていたんですけど、アクアリウムの世界はいま思えばあの時に知りましたね。

今では実家をでてクマノミなんて飼ってるので立派になったものです笑

 

その金魚は記事にあるような処置を祖父にされながら長生きして、30センチぐらいに成長しました。

金魚がフナの仲間なのだと実感しましたね笑

 

さて、記事の「生かして飼う」ということですが、ここには日本人特有の生命への扱いの悪さがでているなぁと思っています。

 

近年の西洋諸国では、「動物愛護」という概念がかなり大切にされています。

野生動物はもちろん飼育動物、畜産動物にも苦しいと思わせない命を大切にするという考え方ですね。

例えば、豚の飼育には広いスペースといつでも食べられる餌と水が用意されていることが必須という法律を作ったり、

フランスでは犬の売れ残りによる殺処分をなくすためにペットショップで売ることを禁止したりしていますね。

 

僕はこの考え方、結構賛成です。

もちろん、日本でやろうとすると土地が狭いですから養豚の採算が合わなくなりますし、ペット産業の経済効果がなくなるので難しいのは承知しているので絶対やるべきとは言わないですけど。

 

また、日本は自然が豊かで生命が身近にあるので、生命が身近にあるからこそ生物の命の価値観も緩くなっていると感じています。

 

当たり前のものってなくなるまで大切さに気づけないものじゃないですか。

 

フランスのパリではゴキブリですら見ないらしいですし、外国人が都心にいるカラスのような大きな鳥にビックリしている姿もたまに見ますから。

 

生物が身近にいて、死を目にすることも多いと自然と死に対して鈍くなるものです。

 

こればっかしは文化の違いかなともおもいますので、日本人が悪いとか西洋人が正しいとかはないとも思います。

 

ただ、近年は「衝動買い」が増えていると聞きます。

これだけは悪だなと。

 

例えば、コロナで家にいることが多くなってハリネズミに癒しを求めたけど、夜に回される滑車の音がうるさくて捨てちゃうとか(実際に伊豆で繁殖しています)。

 

例えば、お水のお姉さんが犬の話をしたから、犬をプレゼントする男性がいて、でもお水のお姉さんはペット禁止のところにするでいるから飼えなくて逃がしちゃうとか(歌舞伎町で野生の子犬に出会ったことあります)。

 

こういった事例のリスクって、ちょっと考えれば、調べれば分かることなんですよね。

いまや、検索すればなんでもでてくる時代です。

 

それを怠って捨てられて最悪殺されてしまう命は絶対あってはならないと思います。

記事の金魚やメダカなんてのも、僕のお袋のように飼えないならやらない(やらせない)とか、お祭りの最後にやるとか。

ちょっとした考えや工夫で守れるものってあるはずです。

 

まぁ、金魚すくいの業者も金魚を排水溝に捨てるなんてことをしているところもあるので、すべてが我々のせいとは言えないのですが、少なくとも考えられる僕らは命に責任がもてるようになれると良いですね。

若者の半数超「盆踊り経験ない」 近隣クレームで廃止の動きも

若者の半数超「盆踊り経験ない」 近隣クレームで廃止の動きも
https://www.fnn.jp/articles/-/403427

悲しい寂しいニュースですね、、

僕が育ったのは昔あったおっきな銭湯を中心とした商店街で、丁度その銭湯が無くなったころに僕が産まれたそうです。

その商店街も2世たちが後を継がず、段々とお年寄りが店舗をゆったり経営しているのもあって廃れてきてました。

でも、盆踊りだけは僕が高校生になるぐらいまでちゃんと3日間ぐらいかけて実施してくれていて、そのお祭りで各店舗がやっていた屋台と子供盆踊りで貰えるお菓子が楽しみでした。

床屋のおばちゃんがなぜか焼きそばを焼いてたり、八百屋のおじちゃんがかき氷作ってたりと全然違うことをやっていたのも僕には新鮮でワクワクしたものでした。

盆踊り大会の前には商店街のスピーカーで盆踊りの曲を流していて、段々と提灯が該当などに付けられていって
それでもって、終わったら静かになって、夏後半を教えてくれて宿題に明け暮れるなんてのが僕の夏休みでしたねぇ。

中学生になってからはなんか恥ずかしくてお祭りに行かなくなっちゃいましたけど、やっぱり外から聞こえる炭鉱節やら東京音頭やらで季節を感じてました。

そんな経験を今の若者たちはしたことがないって言うのはとても寂しいです。
たしかにこの前話した高校生たちはそもそも盆がいつかすら知らなかったなぁ、、

この文化がなくなっていっている一因が、記事にあるとおり「近所からのクレーム」だそうです。

たしかに、夜のイベントで太鼓の音や音頭の曲が騒音になると思う気持ちもわかります。
翌日朝が早いなんてことがあれば確かに困りますし、、

でも、それで文化が失われて良いのかはもう一度考えたいですよね。

この話をすると、クレームを入れた方は「やめろとは言ってない」とおっしゃることが多そうな気がします。
でも、クレームって当人たちには小さい気持ちでも言われた側には大きなことになりがちなんですよ。
仕事でも家庭でもそうではないですか??

地域に住むということは、やっぱり地域に属するということであるのだから地域の一員として地域のことを考える。
最近段々と薄れている考え方ですが、日本が長い歴史のなかで作り上げてきた考え方でもありますし、大切にしていきたいなぁと僕は思います。

また、記事のなかでは若者が復活させた話がでてきますが、やはりイベントで中心になるのは地域のまとめ役と動ける若者なのかなと思います。

クリスマス、ハロウィン、バレンタインデーなど若者が積極的に絡むイベントはやはり盛り上がっていますしね!

僕もまだ世間的にはギリギリ若者と言われる年齢ですが、盆踊りの良さを知っている若者としてできることをしていきたいとも思います。